自然と人間の共生した社会実現に寄与すべく、八ヶ岳南麓であれこれ考え実験した記録をつづります

朝食を食べながら思い出した真夜中の出来立てごはんの味

今までは自宅で食べることが
少なかった朝食。

ここ一か月ほどの間に、
自宅でゆっくりと食べることが
できるようになりました。

この変貌ぶりに
一番驚くのは私の母親。

先日妻にこんな冗談を言われて
ふと思い出したことがあります。


20代の頃、
ほぼ毎日帰宅が終電という時期が
約6年間ほどありました。

そのうちの4年間は
実家で生活していたので、
私の生活ぶりを間近で
目にしていた母親が
ひどく私の健康を
心配していました。

食事や睡眠が十分でなかったため
体調を崩すこともしばしば。

けれど、当時の私には
それらを傍らに置いてでも
全うしたい役割があったため
猛然と走り続けていました。

そんな私を
陰から黙って見守っていた母親は
色々と気遣っていてくれました。

ある晩私は、珍しく
いつもより1時間ほど
早く帰宅しました。

「あら、早かったわね。ご飯は?」
「帰りに適当に食べてきたよ。」
「そう。じゃおやすみ。」

母とこんなやりとりを
したのを覚えています。

自室で本でも読んでいた時でしょうか。
しばらくして、となりの居間から
炊飯器のご飯が炊ける音がしました。

「こんな時間に?」

時計を見ると
いつも私が帰宅する10分ほど前。

いつ帰るかも、
夕食を食べるかも
ほとんど連絡すら
していなかった私でしたが、
そんな自分のために
炊きたてのご飯を
毎晩こうして用意して
くれていたのか…と、
胸に迫ってくるものがありました。

炊けたばかりの白いご飯を
一口ほおばった時の味を
いまでも覚えています。

そんな生活を送っていた私が、
今ではしっかり自宅で
朝食を摂っているのですから
それは驚くことでしょう。

見返りを求めない親の愛を、
今私が与える番になりました。