自然と人間の共生した社会実現に寄与すべく、八ヶ岳南麓であれこれ考え実験した記録をつづります

まとまらない、答えが出せない時間こそ大事にしたいと思った話

本日は10日振りの出勤でした。

たんまりとたまったお仕事。

死ぬ気でやらないと
正月を迎えられそうにありません。

そのような中で
4月末に開催される一大イベントの
ミーティングに出席した時に想った事を
書きます。

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ミーティングを進行していると
ついつい、話し合いをきれいに進めたい
と思ってしまいます。

進行役にとっての恐怖とは
主に沈黙と紛糾です。

私はビビりですから
反対意見とかできるだけ出てほしくない
とかつい思ってしまします。

今日出席したミーティングは、
案をもとに、皆で意見を言って
形にしていく、というものでした。

意見はいっぱい出るものの、
なかなか形にしていくまでに至らず。

そのため、沈黙の時間、
前に進んでいるのか
わからないような時間が結構ありました。

普段進行する側の方が多い私が
今回出席者側に回ってみて気づいた
ことは、こういう時間の重要性です。

沈黙の時間て、
みんな考えてるんですよね。

もちろん、
まったく明後日のことやる人とか
たまにいますが。

進行側からすると
みんなが押し黙っていると
不安に感じてしまうことって
大いにあると思うのですが、
そんなに気にすることじゃないんだと
小さな気付きをいただきました。

それと同時に、
メンバーの主体性を
引き出すという点では
完成された企画をバンと出して
「これでどうか?」と聞かれるよりも
多少突っ込みどころが残っているものを
みんなで意見を言って
「あーでもない、こーでもない」
とやった方がいいな-と。

権限を行使して
やらせることもできます。

でも、
ほんとにいい物作ろうとおもったら、
一緒にやってほしい人に
「自分ごと」として
とらえてもらう必要があります。

そのための方法論のひとつが
このような話し合いなんだな-と
再確認させていただきました。

まとまらない、答えが出せない
そんなミーティングが無価値かというと
決してそんなことはないんですね。

むしろ、今日のミーティングを通して
そういうプロセスを
大切にしたいと思いました。