住む場所が変わると指標もかわる
ここ最近、facebookを見ていて、
明文化しにくい違和感を
ずっと感じていました。
その原因がなんなのか昨日分かりました。
風呂掃除をしているときに
思いついたのです。
風呂場は着想の宝庫ですね。
湯船に浸かって無くても思いつくのですから。
違和感の正体は、
情報の重要度を測る指標の違いです。
東京に住んでいたときと
八ヶ岳南麓に住んでいたときでは、
生きていくために必要な情報が
異なります。
東京では不要とされてきた情報が
こちらではおおいに必要になってくるのです。
例えば、厳しい寒さを乗り切るための暖の取り方。
薪をどこから調達するか?
ちょっと森の中に入ると
キノコや栗が手に入りますが、
これらが食べられるのかどうか?
などなど。
都心に比べ、
自然との距離が圧倒的に近いので、
時に優しく、時に厳しいそれと
どのようにうまくつきあっていくのか?
という情報がとても重要になってくるのです。
徐々にそういう風に私の意識が
シフトして行くに連れて、
facebookで流れている情報に対する
私の感じ方も変わっていきました。
その違和感を
言葉にするだけの感性と
語彙を持ち合わせていないのが
もどかしい。
また明日あたりに
思いつくかもしれませんね。
お風呂場で(笑)
明文化しにくい違和感を
ずっと感じていました。
その原因がなんなのか昨日分かりました。
風呂掃除をしているときに
思いついたのです。
風呂場は着想の宝庫ですね。
湯船に浸かって無くても思いつくのですから。
違和感の正体は、
情報の重要度を測る指標の違いです。
東京に住んでいたときと
八ヶ岳南麓に住んでいたときでは、
生きていくために必要な情報が
異なります。
東京では不要とされてきた情報が
こちらではおおいに必要になってくるのです。
例えば、厳しい寒さを乗り切るための暖の取り方。
薪をどこから調達するか?
ちょっと森の中に入ると
キノコや栗が手に入りますが、
これらが食べられるのかどうか?
などなど。
都心に比べ、
自然との距離が圧倒的に近いので、
時に優しく、時に厳しいそれと
どのようにうまくつきあっていくのか?
という情報がとても重要になってくるのです。
徐々にそういう風に私の意識が
シフトして行くに連れて、
facebookで流れている情報に対する
私の感じ方も変わっていきました。
その違和感を
言葉にするだけの感性と
語彙を持ち合わせていないのが
もどかしい。
また明日あたりに
思いつくかもしれませんね。
お風呂場で(笑)