自然と人間の共生した社会実現に寄与すべく、八ヶ岳南麓であれこれ考え実験した記録をつづります

住む場所が変わると指標もかわる

ここ最近、facebookを見ていて、
明文化しにくい違和感を
ずっと感じていました。

その原因がなんなのか昨日分かりました。

風呂掃除をしているときに
思いついたのです。

風呂場は着想の宝庫ですね。
湯船に浸かって無くても思いつくのですから。
1009-07


違和感の正体は、
情報の重要度を測る指標の違いです。

東京に住んでいたときと
八ヶ岳南麓に住んでいたときでは、
生きていくために必要な情報が
異なります。

東京では不要とされてきた情報が
こちらではおおいに必要になってくるのです。

例えば、厳しい寒さを乗り切るための暖の取り方。

薪をどこから調達するか?

ちょっと森の中に入ると
キノコや栗が手に入りますが、
これらが食べられるのかどうか?
などなど。

都心に比べ、
自然との距離が圧倒的に近いので、
時に優しく、時に厳しいそれと
どのようにうまくつきあっていくのか?
という情報がとても重要になってくるのです。

徐々にそういう風に私の意識が
シフトして行くに連れて、
facebookで流れている情報に対する
私の感じ方も変わっていきました。

その違和感を
言葉にするだけの感性と
語彙を持ち合わせていないのが
もどかしい。

また明日あたりに
思いつくかもしれませんね。

お風呂場で(笑)