自然と人間の共生した社会実現に寄与すべく、八ヶ岳南麓であれこれ考え実験した記録をつづります

忘れ得ぬ恩師の言葉~口ひげ&あごひげ&ロン毛のおじさん先生との想い出

私は小学校から高校までの12年間に、
8人の先生に担任を受け持って頂きました。

その中で、特に思い出深い先生が一人います。

小学校5、6年の時に担任だったM先生です。


その先生は、それまで私が抱いていた
小学校の先生のイメージを覆した、
強いインパクトを持った思い出深い方でした。

細身で背が高く、長髪で口ひげと顎ひげを
ふさふさとたくわえ、さらに丸い眼鏡を
かけていました。

一目見たら絶対に忘れない顔でした。

また、私物のギターやキーボードで
面白い替え歌を歌ってくれたり、
休み時間に男子児童と一緒に、
メガホンをバットにしてピンポン球を打つ、
“ピンポン野球”に興じたり、
少年のような遊び心を持った先生でした。

そして何より印象的だったのは、

「次の時代の社会を支えるのは君たちだ。
だから、誰かに依存せずにきちんと自分の足で、
向上心を持って自分の人生を歩こう。
そして、人のため、社会のためになる
生き方を目指そう。」

という、私たちに体当たりで伝えてくれた
先生のメッセージでした。

先生が着任して間もないある日、
こんな出来事がありました。

午後の始業を告げるチャイムが鳴り、
先生が教室のドアを開けました。

いつものように授業が始まると思っていたら、
右手に持ったバケツを思いっきり振り上げ、
中に入っていた水を教室一杯にまき散らしました。

昼食後の掃除の時間に使ったバケツが
廊下に出しっぱなしだったのです。

「誰かがやるなんて思うな。その誰かに自分がなれ。」

「周りを見て、何をすべきか気づいて
 行動できる人間になれ。」

そんな先生の言葉を聞きながら、
床を雑巾で拭いたことを覚えています。

この他にも、
展覧会に向けてクラスの有志で作った新聞を
「こんな程度じゃ出す必要がない」
とビリビリに破かれたり、
インパクトのある(今だったら結構問題になる)
方法で、社会で生きていく上で大切なことを
教えてくれました。

あれから20年近くが経ちますが、
先生のメッセージは今でも
私の胸に強烈に焼き付いています。

そして父の他界や大学の進学や中退、
就職や結婚といったその後の人生の節目において、
私を支える言葉となりました。