自然と人間の共生した社会実現に寄与すべく、八ヶ岳南麓であれこれ考え実験した記録をつづります

フェルマーの最終定理とはなんぞや?数学に関する「へー!」な小話3

数学の小話シリーズ第三弾です。

前回、その2の内容が意味不明との
感想を一部の方からいただいたので、
その補足の意味も込めて、
続きを書きたいと思います。

その1      ※その2

その1では、正方形のタイルを使って、
ピタゴラスの定理について考えてみました。

その2では、立方体のブロックで、
その1のように2つの異なる大きさの立方体を
分解して、一つの大きな立方体を作れないか
考えてみました。

そしてそのプロセスで、
数学的証明の完全性に言及しました。

さて、この流れをうけての第三弾。

まずは下の式をご覧ください。


005













勘のいい方はすぐに
気づかれたのではないでしょうか。

その2で考えた立方体の問題は、
上記の式のn=3の場合なのです。

そして、上記の式こそが、
数学史上最大の難問と言われた
フェルマーの最終定理」です。

その1からお付き合いくださった方には
この式が意味することが直感的に
わかるのではないでしょうか。

n=2の時は、ピタゴラスの定理です。

が、nが3より大きくなると、この式は
整数の解を持たなくなる。

と、言っています。

せっかくなのでこの式の
歴史的な背景に少し触れてみたいと
思います。

17世紀のフランスのアマチュア数学家、
ピエール・ド・フェルマー

彼は、プロの数学家が解けない
証明をいくつも解いてみせて、
当時の学会で名を馳せていました。

彼の没後、
息子が遺品を整理して見つけた
いくつもの走り書きのメモ。

そのメモはいずれも
定理と思われる結論だけで、
証明が記されていないものでした。

48におよぶ定理と思われるメモが
世に公開されると、時の数学家たちは
「あのフェルマーが解いたといっているのだから
    きっと証明できるにちがいない」
と一斉にその証明に取り掛かりました。

ひとつ、またひとつと証明がなされる
なかで、最後の最後まで解けずに残ったのが
上記の画像の定理でした。
(当時は証明されていなかったので予想と呼ばれていた) 

このような経緯があったために
フェルマーの最終定理」と名がついたのです。

公開されたのが17世紀初頭。

以来、その時々の数学の大家たちが
この証明に挑みました。

そして実に360年の時を経た1995年に
イギリスのアンドリューワイルズという
青年がついに証明を完成させました。

その時々の数学者たちの小さな功績の積み重ねと
それらを組み合わせたワイルズの見事な着想によって
成し遂げられた証明でした。

その一方で、
多くの数学者の人生を狂わせてきたことから、
悪魔の数式という異名を持つこの定理。

ここには記しきれない数々のドラマが、
この定理にはあります。

詳しく知りたい方は元ネタのこの本を(^ ^)

フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで [単行本]