自然と人間の共生した社会実現に寄与すべく、八ヶ岳南麓であれこれ考え実験した記録をつづります

個の時代の到来は100年以上前から予見されていたのか?

昨年9月から開催してきた読書の朝活。
3月いっぱいで閉会することとしました。

色々な学びや気づきを得られましたが、
沢山の方との出会いもありました。
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※新婚旅行の時に撮った一枚。本文とは関係有りません(苦笑)

そのなかには、自身の能力やビジョンや
コミュニケーション力などを武器に
「個」としての存在を際立たせて
様々なビジネスや活動を展開している方が
結構いらっしゃいました。

この点について
世間に目を向けてみると、
ソーシャルメディアの利用者の急増に
伴い、社会的なステータスとは無関係に、
人々の共感を呼ぶ発信で注目をあつめる人も
いらっしゃるようです。

メリットとデメリット、
人によっての向き不向きはあるにせよ、
時代の大きな潮流になりつつあることは、
私のような世の中の動きに
さほど敏感でない人間でも
肌で感じるご時世となっているようです。

このような時代に対して
一つの示唆を与える本があります。

内村鑑三
「後世への最大遺物。デンマルク国の話」です。


後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫)

後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫) [文庫]

「代表的日本人」などの著書を通して
明治時代、欧米に日本の素晴らしさを
伝えようと尽力した
キリスト教の宣教師です。

この「後世への最大遺物」は、
氏が学生に向けて行った講演をまとめたもので、
その要旨はこうです。

「われわれが生命を託したこの世界に対して、
何も遺すことなく死んでしまいたくはない。
何か後世に記念物を残して逝きたい。」

「では、我々は何を遺すことができるか。
財産を残すか?事業を残すか?思想を残すか?
これらいずれも価値高き遺物であるが、
何人にも遺すことのできるものではない。」

「それならば、何人にも遺すことのできる
最大の遺物とは何であるか。
それは勇ましい高尚なる生涯である。」

「すなわち、この世界を、
失望や悲嘆の世の中ではなく、
希望と歓喜の世の中であることを信じ、
己の生涯に実行することである。」

ソーシャルメディアの発達によって、
個人の切実な声が共感を呼び社会的な
動きにまで発展することもある現代において、
何を持つか、どこに所属するかということよりも
どうあるか、どんな考え方かという、その人の
生き方こそが非常に重要になってきています。

そのようなことを考えると、
120年前に語られた内容ではありますが、
現代にも通じるのではないかと思った次第です。